1960年代の学生運動の歴史的文書 No.13

【報道】 六・九ベトナム反戦全関西統一行動
         
(神戸大学新聞) 1967年6月16日

「六月九日、京都で行なわれたベトナム反戦全関西統一行動には、京都・大阪両府学連、兵庫県学連を中心に、関西各地の大学から約三五〇〇名が参加した。官憲の不当弾圧により数十名の重軽傷者が出たが、固い団結のもとに、ベトナム反戦の強い決意をアピールした。兵庫県学連はこの統一行動の成果・総括をもとに、六月二〇日の大阪での統一行動めざして新たにとりくみを開始した。
この日は四時半から円山公園で集会、続いてデモンストレーションに移った六時半からのデモンストレーションにおいては、官憲の不当弾圧が激しく、数十名の重軽傷者を出したが、逮捕者はなく、九時過ぎ本願寺前でブロック別に闘争稔括を行なった後解散した。
この日集会場の円山公園には立命四五〇、京大二五〇、同志社六〇〇、阪大二〇〇、大阪市大二〇〇、神大五〇〇、関学三〇〇、和歌山一〇〇など、関西各地の学生が四時過ぎから次々と集まった。予定より少し遅れて五時からそれぞれ三府県学連から選出された三名で議長団を構成し、集会に入った。
まず議長団から現在における情勢とわれわれの対応についての概略的説明がされた後、京都府学連委員長、大阪府学連委員長、兵庫県学連委員長の順で、この日までの取り組み、六・九の意義などに関しての報告が行なわれた。和歌山大学、関西学院大学の代表から友情と連帯のあいさつがなされた後、スローガンの拍手確認、およびこの日のデモコースと形態の報告が行なわれた。
デモコースは円山公園→砥園→四条河原町→七条河原町→本願寺前と設定された。第一梯団は同大・立命・京大・和歌山大、第二梯団は阪大・市大・大経大、第三梯団は神大・関学・商船大、続いて京大統一会議、大阪府学連、兵庫県学連を中心とするプラカード部隊の順で組織され、デモンストレーションに入った。
この日はがっちりしたスクラムのもとに整然とデモ行進に入ったが、官憲の不当弾圧は激しく、円山公園を出たところで殴る、蹴るの暴力で隊列を崩そうとしたが、学生側はスクラムを固く組み直し対抗した。
 デモンストレーションの途中で女性一名が気絶をするなどの犠牲はあったが、本願寺前まで兵庫県学連はスクラムを崩さず、ベトナム侵略戦争反対∞砂川基地拡張実力阻止∞エンタープライズ号寄港断乎阻止=@の強い決意のもとに、政府に対し激しく反対の決意を示した。
本願寺前で坐り込みが決行され、京都府学連、大阪府学連、兵庫県学連の三ブロックに別れてこの日の総括と六・九の意義が再度確認された後解散した。
円山公園での集会において、兵庫県学連を代表して委員長糸魚川君は『六・九全関西学生統一行動において、我々が一貫して主張してきた課題の一致による行動の統一、地方学連の強化による真の学生戦線の統一への一定程度の成果を得た。さらに今日の統一行動は真の学生戟線の統一への萌芽を含んでいる。この日の統一行動に向けて、大衆的次元での意義の確認を行なってきたし、その結果我々は四五〇名の大衆動員をかちえることができた』 と報告した。
なお兵庫県学連は、この統一行動の成果をもとに、六月二〇日、大阪で大阪府学連、労働者らとともにベトナム反戦の抗議行動を行なう予定である」(神戸大学新聞) 6・16

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