1960年代の学生運動の歴史的文書 No.14

<一〇・七〜八佐藤訪ベト阻止全国学生自治会へのアピール
         
大阪府学生自治会連合・兵庫県学生自治会連合 1967年9月26日

全国の学友諸君!
ベトナム戦争は、重大な転機にさしかかっている。狂暴な北爆拡大、非武装地域で基地建設、四万五千の増兵、戦争拡大の一連の方策も、アメリカの勝利を約束していない.ジョンソンの内外での孤立化と強まる反戦世論の圧力は、秒読みに入った大統領選挙までに何らかの「解決」をジョンソンにせまっている。ジョンソンは深刻な二者択一の前にたたされている。ハイフォン港封鎖、北進戦術、核兵器の使用等、米中戦争→熱核戦争に通ずる危険な軍事的冒険か、それともベトナム人民の要求(ベトナム民主共和国の四条件、南ベトナム解放戦線の五項目)に基づく和平か、である。
かかる時点にあって、佐藤政府は、ベトナム訪問により、戦争への加担の道を大きく踏み出した.佐藤首相のべトナム訪問は、第一に、敗色濃いチュー・キ傀儡政権の軍事平定計画の一環に協力し、新たに衣がえをしたこの政権を政治的・軍事的に補強する役割を果たし、ベトナム戦争への準参戦国入りの宣誓であり、第二に、アメリカのベトナム戦争への協力を通じて、日本の東南アジアへの侵出を強め、第三に、日米安保条約の長期堅持への具体的な足がためである。
かかる佐藤内閣の侵略外交の強化に対して、日本の労働者市民は訪ベト阻止、闘争の高揚によってたちむかおうとしている。十月六日には中央実行委と全国実行委の一日共闘、十月七日には原水禁国民会議中央集会、一〇・八全国反戦統一行動、そして一〇・ニー総評を中軸に全国二百万の労働者の決起が準備されつつある.
われわれ大阪府学連、兵庫県学連は、情勢の重大さと学生戦線の分裂状況という事態にかんがみ、全国の闘う学友、全国全自治会に次の呼びかけを行なうものである。
全国全自治会に於て、大衆的な訪ベト阻止の強固な意志統一を勝ち取り、各都道府県、地方ブロック毎の闘いの高揚を基礎に、(一〇・七)訪ベト阻止中央集会 (原水禁国民会議主催)、(一○・八) 羽田抗議行動に結集しよう。訪ベト阻止の一点で、一切の組織問題を保留し、全国全自治会の共同行動を実現しよう!
われわれは共同の責任に於いて、(一○・二)自治会代表者会議(於東京)を提案する。
全国全自治会の代表者諸君!
佐藤訪ベト阻止の一点で、全自治会の共同行動を実現する為、自治代に参加しよう。
 昭和四十二年九月二十六日
       大阪府学生自治会連合
       兵庫県学生自治会連合

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