民主主義の旗 第51号 記事 |
六・一五御堂筋デモの意義について 弁護士 松 本 健 男 民主主義の旗 第51号 1968年6月21日 |
ベトナム反戦全国行動の一環としての六月十五日の御堂筋デモは、不当な警察のデモ規制の壁を破るという意味で、単に大阪だけの問題ではなく全国的に強い注目を集めた。安保以後、かの悪名高い昭和三十五年最高裁判決に支えられて警察機動隊によるデモ規制は、いわば放任状態に近くなり、公安条例の許可条件の濫用も著しかったが、とりわけ大阪においては、道路交通法七七条の警察署長の道路使用許可条件の濫用が目立った。日韓条約反対闘争以来、大阪のメインストリートで大阪にとり象徴的意味をもつ御堂筋にかぎり車道通行を禁止し歩道通行を義務づける処分がなされてきた。この全国でも例のない歩道通行強制処分に対し、デモを、その本来のあり方に引き戻すこと、つまりデモの権利性の回復を図ることが必要だった。 大阪実行委員会は車道通行をかちとることを決定し、弁護団は許可書交付の翌日の十一日大阪地方裁判所に対し、歩道通行処分執行停止のの申立を行い、大阪地裁は、十四日右申立を認容する決定を下した。右決定は、道交法二条が集団示威行進等につき車道右側を通行せねばならないと定めているのは、歩道における一般歩行者の安全と交通の円滑を図る趣旨であるから、右規定に反して集団行進に歩道通行を指定することは違法であると断じ、さらに集団示威行進の基礎である表現の自由は憲法で保障された国民の基本的人権であり、民主政治実現のため極めて重要な手段であるからみだりに制限されるべきでないと判示した。 大阪での不当なデモ規制に対するこの石崎決定は、京都地裁の橋本判決、東京地裁の杉本判決、と同じ立場に立つものであったが、府警本部は死物狂いの逆転を図り、大阪高等裁判所に即時抗告をなし、十五日夕方デモ隊の大半が会場を出発したころに地裁決定を取り消した高裁判決が送達された。高裁決定の唯一の関心事は、車両の交通停滞を防ぐということであり、デモの権利性、ないし歩行者の権利は一顧だにされていないのである。国民の基本的権利に対する無知と敵意の表現以外の何物でもない高裁決定は当然のことながら当日のデモの混乱の主要な原因となった。御堂筋の入口に当たる本町四丁目交差点では歩道上は見物の市民で埋まっていた。機動隊はまず、歩道上の市民を強制的に歩道から排除し、デモ隊を無理矢理歩道上に押し込めようとした。機動隊の圧力によって身動きもできないまでに圧縮されたデモ隊と、この不当な圧縮と強制に抗議するデモ隊と機動隊と接触により大きな混乱が起り、自然的にデモ隊列は車道中央に押しやられ、デモを歩道上に押しやろうとする警察の意図が逆に全面的な御堂筋デモを実現させるという皮肉な結果を招いた。 六・十五御堂筋デモの真の意義は、デモの権利を現実に実証したところにある。デモの権利は勿論裁判所によって与えられるものでばないが、大阪地裁がデモの表現の自由としての本質を適確に捉えたことの意義は大きい。しかしこれにもまして重要なのは、デモ権は表現の自由であるだけでなく実に国民主権原則にその根拠を有していることが大衆的に確認されたという事実である。大阪の民主運動と労働運動を代表するデモが、組織される場合に、大阪市民の多数の支持と協力の下に実施されるデモに対して、これを狭い歩道に押し込めることが違法であるだけでなく御堂筋全体をデモのために開放することが民主主義の理念に適合するのである。デモは人民がその存在と粟求を、人民から疎外された存在である国家権力に強制する一手段である。権力によるデモ規制や弾圧は人民の基本的権利としての民主主義ー国民主権原則に対する抑圧であり侵害である。しかも、このデモが担っている課題はベトナム反戦という現在の日本におけるもっとも緊急の政治課題なのである。六、一五デモ積極的な意義を確認し、新しい闘いの基礎とすることが緊急に要請せられる。 |