民学同の歴史・体験・思い出文書  No.4

民学同創立十五周年によせて>
     --統一会議時代の思い出--
                 鳴海安英

           
「新時代」誌 第12号 1979年2月14日

 民学同統一会議は、「現政研」=学生共闘派の分裂活動に対して、一九七〇年三月、同盟の統一と全国的・民主主義的再建のために結成された暫定的組織であった。その後一九七三年春の民学同第十二回全国大会の開催によって、この統一会議は発展的に解消され、同時に私たち世代の仲間も大半が社会に出ることとをった。
 嵐のような全国大学闘争、沖縄闘争、七〇年安保闘争に真正面からとりくんだこの時期は、日本の学生運動にとっても特筆されるべき激動の時代であったと思う。
 小野先生・故森先生はじめ多くの先達、諸先輩に指導され、試行錯誤をくり返しながらも私たちの世代はこの時期に、実に多くのことを学び、青年期の形成をはかってきた。この時期に面識を得た中野重治、吉川勇一、小田実、故中西功、上原康助、武井昭夫、他各氏らとの接触と、いただいた協力・助言等も小生には忘れられないものである。
 長かった学生生活を終え上京、既に五年半が経過した。私事で恐締だが、小生は既に二児の父である。同世代の仲間たちも社会人として、中堅のかかりに位置している。ある意味では学生時代はもはや過去のことであり、懐しい思い出にすぎないともいえよう。
 今回、民学同創立十五周年に際して、原稿依頼を受けたが、現役当時の闘いを総括することは適任ではないし、現在の同盟員諸君に教訓を垂れる程のキャリアもないので、勝手ながら、自分の経験の中で最近の思うところを述べてこれにあてたい。

(専門家としての自覚を)
 民学同が学生同盟である以上、同盟員はやがて卒業し、社会に出る。大学院に残って研究生活を続ける人もいる。ところで、最近の雇用状勢は悪化する一方であり、卒業後の進路選択は思うにまかせないのが実状である。
 私たちの時代も同様で、活動家排斥もあって多くが第一志望の途を歩みえなかった。小生の仲間の中には、ずば抜けた才能の持主も数多くいたが、これを活かす職場を見い出すことは極めて困難であったといえよう。このことは、私たちに一つの傾向を生じさせることとなっていると思う。すなわち、大学における専攻とは無関係を職場の選択である。同時にこのことは学業(=専門家としての基礎的蓄積という意味で)を軽視することにも通じている。率直にいって、小生が五年間の学生生活の中で、講義に出たのは全体でせいぜい一年間位であった。物理的余裕がなかったといってしまえばそれまでだが、そのことによる影響は現在にも及んでいる。学生運動と学業の両立を可能にするためには、睡眠時間を減らすこと、優秀な学友を見い出すこと、短時間でも集中しうる習慣を身につけることなどが必要である。
 このような問題は、自明のことではあるけれど、この際あえて強調しておきたいのである。
 小生はこの間、「知・労」に日ソ漁業交渉や「日中条約」問題について寄稿してきたが、そのための取材活動を通じて、実に多くの専門家たちと知り合った。国家公務員・外交官・商社員・水産企業・国連職員・経団連など各種団体の専門職員・新聞記者・全日海幹部・防衛庁OB、各種研究機関の研究員、等々。
 現在わが国をめぐる政治・外交・軍事・経済・文化・労働運動、いずれをとってみても各界各層の専門家がそれに携っている。独占資本は、大衆から収奪した資力で、自らの延命のためにのみ大量に専門家を養成してきている。国家的規模で、あるいは各企業毎に専門家は生産されている。
 先に紹介した専門家たちも個人的には能力もあり、仲々好ましい人々であるが、その世界親・価値観は、多くがわれわれとは全く逆方向を示しており、実に不気味である。
 社会変革の中核は労働者階級であり、それを中心とした広範を統一戦線の形成こそ、原動力である。そして、現代社会のように社会的分業が広範多岐にわたり複雑化している中では、各分野の専門家の存在の重要性は言を待たない。
 国家独占資本主義の下での、進歩的意識をもった大量の専門家の輩出は、今日の日本の労働者階級、反独占民主主義勢力の最重要な課題の一つといえよう。これは、民学同という”学校”を卒業する人々にとっても最も関心を払うべき課題になっていると思われる。
 このことは、小生にとって古き良き時代をかえりみた時に思い起す苦い教訓でもあり、現在の民学同同盟員諸君への期待でもある。専門家としての自覚を高めそれを活用しうる条件を獲得していただきたいと思うのである。

 (大衆的基盤の強化を)
 民学同は、プロ学同派・学生共闘派・「デモクラート」派らの脱落による三度の組織分裂を経験している。十五年の歳月を考えた時、組織分裂という不幸を事件の代償がもいかに高価なものであるかと思わざるを得ない。
 万一、かかる不幸を事態が回避されていたら、民学同は日本の学生運動の歴史を書きかえていたといっても過言ではあるまい。しかし、−このようを仮定は、現実主義的ではなく、われわれには許されないことである。
 現在では、OBを中心として労働青年同盟(準)が組織され、学生諸君との連繋を深めながら闘っており、さまざまな大衆団体も活動を続けている。このようにわれわれの存立基盤が強化されることを通じてのみ、大衆的影響力が増大していくのである。したがって、今後は現在ある基盤をいかにして強化していくのか、さらなる、発展をいかに推進していくのか、あらゆる面から具体的に検討をすすめていかなければならない。息の長い、同志的討議による作業が前提であるが、学生諸君からの積極的をとりくみにも期待しておきたい。最後に故森信成先生の言葉を引用して、結論としたい。
 「理論と実践の統一は.、わが国では、理論の現実への具体化としてではなく、しばしばアジア的な『知行合一』の問題として、すなわちただちに身をもって行動することとして、それへの『注意』『決断』『踏みきり』の問題として把握され、戦後、幾多の決意・実践の哲学を、つまり主体的唯物論をうみ出してきた。しかし、人間の行動を根本的に規定するものは客観的な物質的必然性であってあれこれの理論ではなく、マルクスやレーニンの書物を読んでも容易に腰をあげようとしない人々が、主体的唯物論者たちが実践の哲学を捻出したからといって動き出すものではない。したがってこういう企図は哲学者たちのたんなる自己満足以上の意味をもちえない。こうした容易に動こうとしない善良な意志を動かすにはどうすればよいのかの具体的な政策について考えること、これが唯物論的な問題のたてかたである。問題解決のカギはしたがって、天上にではなく地上に、意識の内部や奥底にではなく外部に、実践の哲学にではなく政策−戦略・戦術−にある。そしてこれが理論と実践の統一の意味である」(森信成『マルクス主義と自由』合同出版・六六頁)

   一九七八年九月三〇日
    民学同の一層の発展を祈りつつ。
                       (元民学同統一会議議長)

民学同のページ】TOPへ 【文書リスト】ページに戻る