民学同の歴史・体験・思い出文書  No.5

特集:民学同15年の軌跡より>
 同盟再建第十二回全国大会
        第十二回大会中央委員長 西野 治
           「新時代」誌 第12号 1979年2月14日

  民学同が結成一五年を迎えた。私が同盟に参加したのは一九六九年七月一四日であるから、私個人の同盟とのつきあいだけでも九年余、実に感慨深い。
 この一〇年の間だけをみても同盟は数多くの試練に直面した。私の経験からすれば、加盟と同時に「民旗派」諸君との分裂にまき込まれ、亡くなられた森先生から、「君、よくこちらへ来たなあ。学生はだいたい実感主義で、このごろはハネ上がりの実感が多いから自分の進む道がわからんようになったらシンドイ方を選んだ方がエエ。そしたらまあ間違わんよ」と励まされた。これが先生との最初の出合いだった。
 大阪市大の文学部で自治会再建の気運が高揚した一九六九年ごろ、「学生共闘の連中に文学部委員会再建を先に呼びかけろと言うといたよ。彼らはセクトが強いから先鞭をつけささんと一緒にできんやろ。君らはそれに答えて二番目に呼びかけたらエエ」、万事この調子で、自治会再建や学生全体の利益のためには、自派の名誉や出陣争いのようなつまらない事にこだわるな、これを徹底的にたたき込まれた。
 小野先生のことで最初に思いだすのは、工学部三・一六闘争中のことである。初めて工学部学生大会が提起された時、民学同(統一会議)工学部班名のビラを配布した。小野先生の一喝をうけた。「工学部の学生が民学同のスローガンを自分たちのスローガンと考えてたちあがっている時、今まで公然活動をしていない同盟のビラをいきなり出せば、無党派の活動家との間にヒビがはいるじゃないか。まったく不用なセクト的態度だ。」大衆の自発性を最大限生かし、政治同盟はの中でもっとも献身的に闘いぬくことによって、不抜の信頼をかちとること、最悪の敵に主要攻撃を集中し、他のすべての層を結集して統一戦線を築きあげること、両先生が哲学や政治経済分析を通じてくり返しわれわれの頭の中に、たたき込まれた理論と思想こそ、同盟一五年の歴史を支え、三度の分裂にもかかわらず、そのたびごとによみがえり発展してきたのであった。
 同時に、吉村励先生や横田三郎先生・山本晴義先生、平和と社会主義の志賀義雄・小森春雄各氏・労働者党の松江澄・波多然・原全五氏、労働運動では、巣張秀夫・南野正明氏ら解放同盟の上田卓三・大賀正行両中執、平和運動の森滝一郎・近藤幸四郎‥堀一郎・和田長久氏ら、国会議貝の宮の原貞光・故望月優子さんなど、数えあげればキリがないほど多くの方々のご支援・ご埋解に支えられてきた。民学同はまことに幸せ者である。
 民学同がほんとうに、大衆的政治同盟として成長するためにも、より一層多くの各界の民主的指導者・活動家との深い信頼関係を築きあげられるよう期待したい。
 

 民学同が一五周年に際して発表されたいくつかのアピールを見せてもらった。歴史を総括するということは一朝一夕にはできない。民学同はまだ発展の途上であるし、”学生運動の統一”という事業は、まだ数歩前進したにすぎない。同盟内でもまだ未決着な理論的課題があって当然といえる。
 大切なことは、未決着な課題に早急に結論をだすことではない。現実を直視し、冷厳な批判の精神をもっと検討し、現実の中に、発展のモメントを見つけだすことにある。
 苦言を提する訳ではないが、たとえば一九七三年の筑波闘争も考えこみたい。一九七三年という年は、学生運動に新しい徴候が見られた年であった。その代表はなんといっても早大四万学生を総決起させた川口大三郎君殺害に端を発する早大民主化闘争であろう。関西でも大阪市大の三・一六闘争など、全学をゆるがす諸課題が相次いで火をふいた。
 民学同は実によく闘った。束京理大のストライキをはじめ、阪大・市大・大阪学大がストに突入した。しかし、このストライキも様々だった。東京理大は筑波問題で、大阪市大の工・教養は三・一六で、大阪学大池分・天分は移転問題という具合で、六・二三中央集会を学生大会決定したのは東京理科大と阪大教養部だけであった。
 当時学生単独の集会が首都でもたれたことは、特筆すべき画期的な出来事である。とくに大阪ではその年、学大池田分校自治会選に勝利し、市大エクラ代や阪大文学部自治会、関大経自選の圧勝など、学生運動統一へ大きな可能性を開いた。
「だが現実はまことに冷厳である。同盟がたとえ動員数を膨大に発表しようと、わが同盟が単独で全国自治会の統一行動をくり返し領導し、全国をゆるがすような力をまだわれわれに与えはしなかっ
た。
 「画期的な結集」とは、七〇年安保のあとの低迷した(われわれも含めて)学生運動の諸集会と比べてであって、一挙に、全国自治会統一行動や大阪自治会統一行動の指導部隊として名実ともに認知されるようなものではなかった。
 むしろ、この過大評価にもとづく「自治会統一行動」なる熱病は、一方で、やっと苦心のすえ再建された自治会に学友の期待が集中している目前で学生の意識情況もかえりみず強引な「自治会決定」をやってのけて、学友から孤立する結集を招いた。他方、自治会のない大学では、自派が認定した行動スケジュールをクラスやサークルに押しつけ、民学同が瞳のように大切にしてきた”クラス・学科・サークルを基礎にした統一”という、もっとも苦労の多い活動を軽んじる結果を招いたのではなかったか。
 大阪学大池田分校自治会こそその典型であった。民膏指導部のセクト主義を批判し、全学大の統一を高らかに宣言した新執行部ではあったが、数年後、セクト主義の業病となったデモクラート派の拠点となって、みじめな敗北を喫した。
 歴史的事実を過大に書きしるしてはならない。四年をサイクルに指導部が一新する学生運動の場合はとくにそうである。過大な評価をうのみにすることから、自分たちがいま立っている時点がどこであるのかを見失ない、より大きな誤まちをひきおこす結果となりかねない。
 筑波闘争の総括を見ても、今さらながら私自身の重大を責任を感じてならない。理論的思想的にはすでに伏線があったとは言え、デモクラート派が、民学同の精神のひとつを投げすて、セクト主義へひた走っていった実践的な契機がここにあったように思うのは私だけだろうか。
 学生運動統一の事業はまだまだ前途多難である。同盟組織も地方ごとに事情が異なり、各大学ごとにも条件は様々である。三ケタの同盟員を擁する支部もあれば、数名で悪戦苦闘し、一サークルでコツコツと基礎づくりに専念している活動家も数多いと思う。
 また統一の事業には潮時というものがある。一党派・一個人の主観的意志によって歴史は変わるものではない。大きなうねりが起こりはじめた時、だれよりも早くこの流れに着目し、方途を見失って思うにまかせる学友に行く手をさししめすことのできる力量を一歩づつ積みあげ、みがきあげる地をはうような努力こそ大切であろう。正しい政策の提示すれば決起する、とはこういう苦労があってはじめて至言となる。同盟の指導部はこうしたもっとも困難な現場の活動家に細心の注意をはらって、行動の計画をつくりあげる必要がある。

 三、
 学生運動の統一のことを考える時に避けることのできない課題は、”民学同の再統一”という問題ではないかと思う。
 三派の民学同の結集はたちまち全国北は東北地方から南は九州まで、全国一〇〇大学に近い支部建設を可能とする。
 私はこのことが当面すぐに実現するとは思わない。しかし、平和共存や反独占民主主義あるいは単一全学連の再建を掲げつづけ、同じ趣意・規約をもつ組織が、将来統一される可能性は否定しえないし、むしろ、日本共産党の再建という事業が進行する過程で、三派の民学同や労働者・建設者同盟・思想運動などの民主的学生の統合が進む方こそ自然である。現実に民雄派支部の中でも、岩手大・静岡大・金沢大・熊本大や名古屋・兵庫の各大学で奮闘する諸君の活動とエネルギーには充分学ぶべき点もあれば、敬意を表すに値するものも多い。
 しかも、一端卒業すれば、困難な職場活動や多くの戦線で互いに協力しあっているのが実情である。
 しかし残念ながら、現在では相違点が膨大にされ、感情的に争う傾向が前にでている。組織の分裂は、一面、共闘のはじまりでなくてはならない。日本にこうした民主主義の伝統がないことこそ、森先生がもっとも嘆かれていた点である。
 少なくとも新時代派の指導部の皆さんだけでも、つまらぬ正統派意識と手を切って、言わばケンカ分れした兄弟を見つめるような気持で、常に統一の姿勢を全面に押しだして口先だけでなく誠心誠意努力してほしい。これができるとすれば、それは今のところ新時代派の諸君ではないかと思う。
 私は理論闘争を停止することを提案しているのではない。ただ激しい論争にもかかわらず、共通の課題においては共同行動をもち、そのための共通の作戦会議や、民学同統一懇談会のようなものが実現できるほどの民主的な気風を身につけるほどの努力を言っているのである。森信成先生の追悼記念集会からでもそういうことができるとすれば、頑固な唯物論者であった先生も、さぞかし草葉の陰で喜ばれるであろうと思う。

 四、
 もうひとつ、最近の急速な軍国主義強化とファッショ化の情報のもとで、われわれは真剣にわれわれの闘い方、運動の幅の広がり、ほんとうの意味での大衆運動のあり方、ということを検討し直す必要性について述べておきたい。
 一口に言えば、左業主義の精算である。八月の原水禁運動でいつも思うのは、現地広島や長崎はともかくとして、日本の終戦記念日がちょうど盆にあたり、多くの国民は墓まいりをしては戦争で亡くした夫や父親や兄弟の歳をかぞえ、しみじみとした感慨にふけるのである。こうしたまったく素朴な”死者への思慕”が平和運動の中に吸収されているだろうか。左翼と称する人々が提起する課題やスローガンは、こうした国民感情を考慮の外においやっているように思えてならない。反戦・平和の闘いは一部の独占資本をも巻き込みうるようなもっとも広汎な社会的基盤をもっている。大学内でも、紋切り型のスローガンの押しつけでななく、それぞれの思想や信条・宗教をも認めあったうえで、なお共通の活動を進めることができるような創意ある多種多様な活動形態を考えだす努力こそ望みたい。
 それは他の分野でも同じである。定期的におこなわれるゼミナールの交流会や学生の学術発表会などでも、同盟が一五年をへて学び蓄積してきた理論的成果は充分通用すると確信している。専門的な学問分野でも一人一人の同盟員が各闘争の中で学んだ階級的視点をみがきあげ、科学と民主主義の代弁者となることによって、理論的思想的信頼と影響力を学生運動とは直接関係のないようなマジメ学生や教官の間にも広めることができるはずである。自民党と政府が政治反動やファッショ化を進める背景には、既存の左翼勢力だけなら充分押しきれるという狡猾な読みがある。これと闘うわれわれは、より幅の広い層をまき込んだ統一戦線でこれにあたらないと勝利の糸口はつかめない。同時にこうした活動を通じて、民学同と学生運動が、より一層大きな社会的諸勢力と結合し、協力関係を深め、真にすべての民主的諸勢力の共有財産として成長することが可能となるのではないだろうか。
 民学同は、小野・森両先生はじめ多くの先輩の導きをうけて不滅である。しかしこの理論を、各分野で実践にうつし、運動と組織の物質的力に仕上げるのは諸君とわれわれOBの仕事である。
 苦労も多いがやりがいのある闘いが各戦線に待っている。ともに学び団結して前進しよう。

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