民学同の歴史・体験・思い出文書  No.7

特集:民学同15年の軌跡より>
 第十六回全国大会
       第十六回大会中央委員長 Y・I
           「新時代」誌 第12号 1979年2月14日

 民学同の結成一五周年にあたって、自分の学生運動の時代をふりかえっておくことも有意義なことだと思い、寄稿を約束した。
 私が同盟に参加した一九七二年は、沖縄−ベトナム反戦闘争を中心とした学生運動の昂揚期であった。
 私が入学した大阪市立大学は各党派が一とおり顔をそろえ、キャンバスにも一種独特なふんいきがあった。
 はじまってまもない教養講義のいくつかは、半ば押しつけに、半ば自主的に討論集会に切りかえられていった。
 そういうふんいきの中で育った我々の仲間の多くが、早い人で夏頃、遅い人でも秋には民学同に加盟していった。あるものはサークルを通じて、あるものは「民雄派」との論争の中で、そしてより決定的であったのは、3・16闘争(工学部
民主化闘争)における同盟の最も民主的で大衆的な政策に共鳴して、同盟指導の正しさを確信したのであった。
 当時の学生運動の大半は学生の高い意識性(反戦・反帝・反体制をど)にのみ訴える方針を提起し、ますます学生大衆から遊離する傾向にあった。あの全国を揺がした学園闘争と全共闘運動敗北の経験を正しく総括できずに、次々と提起させる政治諸課題に対して、街頭行動とそれへの動員にのみ窮々とする諸党派は活動家の一本釣りないしは他党派の影響下にある活動家「ツブシ」を唯一の党派的活動をしていた。
 これに対して同盟は、七〇年の「民旗派」との分裂の中から、学生大衆の意識にのみ依拠する運動とりわけ、学生をその意識状況から「高・中・低」の三段階にふりわけ、「高」をとり「中」を引きつける、などという、主観主義、エリート主義を批判し、学生の多面的を要求をとり上げ、学生生活の改善と大学改革の課題を具体的に提起する中で学生の大衆的決起をかちとることに地道を努力を積み重ねてきた。
 こうした努力が、七二年度、同盟に参加した我々の仲間に大きな確信を与え、その後、「デモクラート派」諸君の著しい主観主義、エリート主義から同盟路線を守る上で大きを役割を果たしたのであった。

 ニ、
 数度にわたる組織分裂にもかかわらず「新時代派」がその正しい方針をとり続けてきた背景には、多くの先輩や社会運動家の指導・助言を受け、また「新時代派」がそのことに最も謙虚であったということがある。
 同時に「民雄派」 「デモクラート派」の両派と異なる点の一つに部落解放運動との結びつきを正しく堅持してきたことがある。
 日本共産党の不当な分裂工作としつような差別キャンペーンによく耐え、被差別部落大衆の生活と権利のために果敢な闘いを進め、今日、反独占闘争の重要な一翼を担う郎落解放同盟の運動につねに注目し、学び、連帯することを通じて我々の大学改革の課題が具体化された。それとともに、解放同盟の大衆的活動スタイルが我々に教えるものは大きかったのである。
 しかしこの解放運動との連帯の問題も同盟内で正しく理解されるまでには少なからぬ時間を要したのである。
 関東における解放運動の立ち遅れともあいまって、解放運動の現実に学ぶことなく「解放運動は反独占闘争たりうるか、否か」などの機械的な「階級理論」が同盟内にも存在した。
 しかしそれらは卒業生が教育や自治体の現場で解放運動にふれるにつれ、また解放同盟の有力な指導者である大賀正行氏や上田卓三氏、部落解放研究所などにつとめる諸先輩の助言、また、解放研・部落研に所属する同盟メンバーの努力によって克服されてきた。
 東京において解放運動に学生がとりくむことの意義が充分理解されず、同盟の指導も不充分な頃から、各大学で解放研の基礎づくりを進めてきた同盟メンバーの努力は高く評価されるべきだと思っている。
 学生が社会問題をとり上げ、その解決のための教育・研究を要求してゆくという、大学改革の典型的をパターンが部落解放運動との連帯の中で生まれてきた。同盟はこの闘いを今後とも一層押し進めるべきだと思う。

 三、
 さて、今後の活動について、提言めいたことを言わせてもらいたい。
 それは、民学同の「本家争い」 「正統派主義」とはこの際、キッパリと手を切って、民旗派、デモクラート派との統一をあらゆる課題にもとづいて提起、追及してほしい、ということである。
 私自身、有意義で楽しく、自分の成長にとって大きを影響を与えた学生時代の、唯一つの不愉快で悲しく、苦々しい思い出は、同盟の分裂とそれにからむ、対立・抗争のいくつかの事件だった。
 民族派のある支部がまるごとわが派に結集した時、市大はその「主戦場」とをり、連日、府下からの動員合戦で新左翼そこのけの「集団乱闘」を学友の前で演じた。
 そして、この「内ゲバ」で失った学友の信頼を回復するのに多大を努力と時間を必要としたことは言うまでもない。
 デモクラート派の諸君との間で、未だこのようを小ぜりあいがあるとすれば、それはすぐにやめてほしい。こうした回答無用の、暴力的形態にまで発展しかねない「本家争い」は全く無意味であるばかりか、有害でさえある。我々の先輩の中にも個々の行動において誤まっていた人もいる。今必要なことは、過去のいきがかりを捨てて、まず「新時代派」が統一の門戸をひらき、他の二派に共同行動と討論を呼びかけることだ。
 「いきがかりを捨てて」とは、理論闘争をやめよということではない。むしろ、正しい理論闘争とその成果を得られるような共通の課題、目的を他の二派とのあいだで持てるようにすることである。捨ててほしいのは、「近親憎悪」の感情とつまらぬプライドである。学生運動の統一を掲げ、他人から見れば、同じようを方向をめざす「民学同」が三つあるという事実はすでに悲劇を通りこしている。
 かく言う私も、事態を客観的に、冷静に見ることができるようになったのは学生運動を卒業してからの事である。我々の先輩はもちろん、民旗派・デモクラート派の先輩もそれぞれ職場で、よくやっている。共産党や民同幹部の圧力の強い組合で、職場の民主化のために、労働運動の前進のために、共に協力しあっていることもある。学生時代に対立はしていても「民学同」の学校を卒業したものは、情勢の認識や、運動の方向において大体一致しうるのである。もちろん「新時代派」の諸君が「自分たちこそ民学同の趣意・規約を守っている」と考えるのも無理からぬことではある。しかし、そのことを主張するのであれば、諸先輩が繰り返し訴え、同盟趣意にも明記された「統一の思想」を本当に我がものとし、学生運動統一の大事業に先だって可能を「民学同の統一」をかちとってもらいたいのである。
 その前提とも言うべき共同行動の積み重ねも我々がその気にをれぼやれる課題はたくさんある。
 私自身その確信を得たのは、七五年夏原水禁大会の階層別集会の共同開催を成功させた時からである。
 七一年以来、集会を単独開催してきた民旗派の諸君の抵抗は大きかった。また、それに加えて春に分裂し、「学生党的組織」に純化しようとしていたデモクラート派は、「平和闘争と社会進歩のための闘争の結合」というスローガンを掲げて登場。階層別集会開催の議論は何度も頓挫しかけた。しかし同盟を代表して彼らとの交渉にあたった私と、当時の都平連代表のS氏は、「地道を努力を続ける各大学の平和運動をお互いに評価しあおう。」と提案した。すでに全国実行委員会をつくっていた民旗派にも、集会開催委員会を共につくり、そこに入るよう呼びかけた。本当にやる気にさえをれば、集会を実現するあれこれの手段、ルールは話し合いでどうにでもなる。要は説得の努力と妥協することのできる度量である。議長団の構成や、基調提案の内容をめぐって、数十時間の討論、もちろん時にはヤジと怒号の中で混乱したこともある。集会前日の深夜、さらには当日の午前にかけてまで討論が続き、軍縮協の和田氏をどにも多大を迷惑をおかけした。しかし我々はそれをやり通した。結果、一番プライドの「高い」デモクラート派だけが、当日、別行動、自派のみの「原則的」な分裂集会をもった。
 もちろん統一集会の実際の成果を考えるにそれは決して大きくはない。どことなくぎこちなく、お世辞にも大衆的で友好的なふんいきとは言いがたいものだった。しかし、階層別集会の成功は両派ともが認めあい、その共同行動はその後定着し、今年も何とかやれたと聞いている。
 平和運動にたずさわる若い諸君は是非こう考えてほしい。君は都平連で、あるいは軍縮めざす会で正しい活動をすすめている。彼らのある人は君たちとちがう場所で、岩手大や金沢大や静岡大や熊本大で、君たちと大筋同じ立場で、平和と平和共存、軍縮と緊張棲和を訴え被爆者援護法制定のために闘っている。それを認め、評価することは学生の平和運動の前進にとってマイナスとなるだろうか、ということである。
 学生運動全体の統一についても、やはり同じことが言えるのではをいだろうか。
 民学同が全国のあらゆる大学の、あらゆるたぐいの運動と課題に精通し、これを指導し、もって諸党派の運動と組織を凌駕した時、簡単に言えば、我が派が全国制覇した時、学生運動が統一される…。こんな風に統一を展望するものがいるとすれば、それこそ「主体形成至上主義」である。現実には、民学同三派どころか、全国には十指に余る諸党派が存在し、それぞれの課題があり、少なからぬ学生がそこに参加している。それらはますます大衆的基盤をなくしているとはいえ、完全になくなってしまうものではない。それらは多かれ少をかれ社会的諸階級・諸階層の利害を反映して存在している。だから統一の問題は、この基礎の上に、つまり、異なる諸党派・諸グループの影響の下にある。現実の運動と課題、そこに参加する学生大衆の客観的要求をいかにとりあげ、解決するかをめぐる議論として、とり上げられねばならない。学生運動統一=わが派の全国制覇なる主観主義・セクト主義とは、民学同は無縁である。
 だから我々は統一の条件のあるところで、大胆に、粘り強く活動し、最大の成果を上げ、その実例の力で、統一の輪を次から次へと、押し広げていかなければならない。
 もし民学同三派が今すぐにでも連合し、協力するならば、その運動課題の多様性と大衆的影響力によって学生運動統一の条件は大きく拡大されるに違いない。 我々が一つかちとった統一の芽、共同行動の輪を次々にひろげてくれるよう切に望みたい。
 もちろん我々もそれぞれの分野でできる限りの働きかけを開始したいと思っている。

四、
最後に青年同盟との強力について一言。
第一に、機関紙の一本化、共同編集を提案している高橋春男氏の意見(機関誌
新時代11号)に全く賛成する。
 第二に、我々がめざすべき青年同盟の任務、組織形態、活動のスタイル等について、結論をうるまでの討議が未だOBの間でつくされていないことについてで
ある。
 労青(準)の結成(七五年十月)にあたって、当時、私は民学同を代表してアピールを送った。その中で、労青問題をめぐる議論の経過と、不幸にもその混乱がデモクラート派諸君との分裂にまで至ったことを総括しつつ、事態の前進的解決のた一めに、学生とOBのそれぞれの努力を開始しようという当時の学生同盟として可能を限り卒直、かつ必要最少限の提案を行なっておいた。
 民学同の学生たちは、「その日」のための準備を進めてきている。むしろ立遅れているのは労青の側の活動ではないだろうか。私や私の同僚の多くを含めて、更には高橋氏が指摘するような「労青の粋をこえた」活動家と運動にまで及ぶイニシアチブを発揮するためにしたいのである。
 最近、私はつくづく思っている。民学同で得た最良の経験や理論がそのまま通用するほど社会的現実は単純ではない。学んだ理論や経験を導きの糸に研究し宣伝し組織しなければならない課題が山積して我々を待っている。
 諸君の更なる奮闘を祈り、今後とも変わらぬ連帯を心から誓ってお祝いの言葉とする。

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