1963年9月15日 民主主義学生同盟は結成された。以来、40周年目が2003年9月15日である。それがどうした、という輩もおられると思うけれど、一体この学生組織は日本の学生運動にどんな問題提起をし、そして発展したのか。その後の分裂の経過や歴史的意義を再度振り返るのも一興ではないかと思います。
 幸いにも私佐野の手元には、すべてでは無いにせよ、故小野義彦氏から譲り受けた機関紙・諸文書が現存している。
 今後、様々な印刷物に残されている文書を掲載しながら考えてみたいと思っています。 専用の掲示板も準備しておりますので、体験談を含めて皆さんの「介入」をお待ちしたいと思います。
〇追加情報です。(2017-01-09)

HP読者の方から要望がありましたので、所蔵文書の一部をPDF化し、アップいたしましたので、お知らせいたします。

当該文書は、「共産主義者組織統一準備委員会会報」です。
リンクは、サイドメニュー「その他リスト(歴史的文書)」からご覧になれます。

アップしましたのは、以下の通りです。

共産主義者の結集と統一をめざす全国会議(まとめ・よびかけ) パンフ 8P 1966/3/23
共産主義者組織統一準備委員会会報 1号 1966/05/01  10P
共産主義者組織統一準備委員会会報 2号 1966/05/15  23P
共産主義者組織統一準備委員会会報 3号 1966/06/01  10P
共産主義者組織統一準備委員会会報 4号 1966/06/15  12P
共産主義者組織統一準備委員会会報 6号 1966/07/15  10P
共産主義者組織統一準備委員会会報 7号 1966/08/01  21P

おそらく個人名が出ている皆さんは、すでに鬼籍に入られたと思いますので、トリミング等の処理は行っておりません。また、書き込み、傍線等は旧所有者である故小野義彦先生によるものです。

本文書類は、「共労党」の結成準備段階の「会報」で、「日本のこえ」が準備会から離脱する前の文書類です。

今後関連する文書も検討の上、追加いたします。(佐野)

〇追加情報です。(2016-06-09)

新しいページをアップしました。

民学同第1次分裂の経過について

1968年3月、「民学同第9回大会」は、二つ存在する。平和共存や学生運動の統一議論など組織内論争を、「非民主的な大会開催要綱」により大会代議員多数派を確保し、乗り切ろうとした「共労党派」(後のプロ学同グループ)の姑息な対応が直接の発端と言えるのだが・・・

ご意見も多々あろうと思います。取りあえず、手持ち資料で作りました。皆さんの介入をお待ちいたします。


「・・・(1968年)二月十二日第一回全国委員会を皮切りに都合七度にわたって行なわれた全国委員会において、今回脱落していった一部の全国委員は少数派が大会代議員の多数を 占める非民主的大会開催要綱を提案し、全国委員長以上四名の全国委員の再三の説得にもかかわらず討議に応じず、開催要綱に関する全同盟討議の指導を一貫し て拒否してきた。四年生(卒業予定者)を同盟員基礎数から除外し、自派が多数を占める支部における代議員の選出は多数派の完全独占の方法を主張し、自派に 不利な支部では少数派の代議員権を要求するという自己のセクト的利害のみを追求した大会開催要綱が各大学支部の良識ある同盟員に支持されるはずがなかっ た。」
(民主主義の旗No46/47号 1968年4月10日)

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〇追加情報です。(2016-03-21)

 民学同機関紙「民主主義の旗」を大量に提供いただきました。

 No52(1968/8/3)から、No160(1976/4/25)までの約70部です。
 今後、必要な個所をPDF処理する予定です。(欠番あり)
 とりあえず、リスト化しましたので、ごらんください。

 民主主義の旗(追加リスト)

 また、共労党系民学同の「民主主義の旗」も一部提供いただきました。

 民主主義の旗( No46 1968/4/15) 
 
 次回の情報追加は、「民学同第1次分裂の経過」を、現在作成中です。
 共労党系機関紙も、そちらで収録する予定です。

 もう50年前の「紙媒体」ですが、もし資料をお持ちの方は、ご連絡ください。
 このHPで活用・保存させていただきます。

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〇追加情報です。(2016-02-14)

 今回追加するのは、以下の3点です。
 
 1、1965年  単一学生同盟結成のための全国代表者会議の声明
 2、  同年   統一アピール (共青大阪・民学同)
 3、日米連帯平和集会の記録(ソノシート・表裏写真) 1967年1月29日
 
  (説明)
 1,2は、1965年当初に開始された、「単一学生同盟結成」のための取組の中で発せられた声明とアピールである。
 民主主義の旗No22(1965年4月10日)に記事が掲載されている。
 残念ながら、この取り組みは成功しなかった。
 
    1965年1月26日 統一アピール
     共産主義青年同盟大阪府学生委員会
     民主主義学生同盟全国委員会

   1965年3月28日 単一学生同盟結成のための全国代表者会議の声明
     共産主義青年同盟東京都学生委員会
     共産主義青年同盟大阪府学生委員会
     民主主義学生同盟全国委員会

 3は、1967年1月にアメリカのフォークシンガー「ジョーン・バエズ」を迎えて、開催された「日米連帯平和集会」の記録である「ソノシート」パッケージの写真である。(「民主主義の旗 関連記事あり)
 佐野自身が撮ったもので、市大OBのTさんが所蔵されていた。
 ソノシートは、今も再生可能です。
  (音源のデジタル処理ができれば公開いたします)
 
 1,2,は、生駒さんから提供いただきました。
 
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〇追加情報です。(2015-11-12)

【 戦後学生運動の歴史 (1956-1967) 】

 今回、民学同、構改派の出来事も、多く記載されている「資料戦後学生運動」より、1956年から1967年の10年間をデータ化しました。
 関係の深い記述には、着色をしております。

 かなり前から、サーバーには保存しておりまして、Google検索では、「戦後学生運動の歴史」で、すでに上位にランクされています。(佐野)

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○追加・更新情報です。(2015-10-13)

【 1964-68年 大阪市立大学全学自治会選挙 関係資料 】

 今回、上記のとおり、1968年5月市大全学自治会選挙の資料を公開しました。6党派から立候補、各派のビラをセレクトして公開しています。
 
 民学同は、1965年全学自治会選挙選挙で定数17名中、8名が当選し、社学同派支配を打ち砕き、多数を占め、以降3年間、市大全学自治会執行部を担っていた。(中執選挙は、全学区10名、学部区7名の17名枠)

 しかし、1968年3月、第9回全国大会で「共労党派」が分裂し、市大でも、それまで再建派・統一会議として、選挙を闘った民学同は、1968年5月の第7期中執選挙では、二つに分裂して闘うこととなった。「統一会議(民学同派)、統一会議(主流派)」

 統一会議(主流派)=共労党派も、「民学同」を名乗っている時期で、複雑な感じですね。

 立候補者名等は、トリミング(削除)して掲載しています。

 資料を提供いただいた各位に感謝申し上げます。
 引き続き、その他の資料を整理していきます。(佐野 2015-10-13)

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○追加・更新情報です。(2015-10-01)

 【民学同機関紙リスト】を、更新しました。

 すべての機関紙データにPDF版を追加すると共に、以下の各号を追加しました。

 追加内容: 「民主主義の旗」 58号、59号、64号、65号、67号、68号 

 また、「市大学生運動の軌跡」にも、リンクを追加しました。
   (共労党大阪市大細胞 「スパルタクス」創刊号1968-09-11)
       ※なお、このPDFに書き込みがありますが、故小野先生の書き込みです。

 資料提供をいただいた各位に感謝申し上げます。

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○追加情報です。(2015-09-24)

 「★市大学生運動の軌跡」に、新たなページを追加しました。

   「1969年6月期 大学立法反対闘争 6.20全市大統一行動実現

 約80枚のビラを収めています。見やすいよう、1段組みとしました。

 また、新たな資料を確認しました。

 1968年 大阪市立大学全学自治会選挙での各派立候補ビラ(多数)
 1967年秋、佐藤訪米阻止闘争(羽田)の頃の、各派ビラ
 68-70年期の、「民学同全国委員会通信」
 デモクラート63・64・65号(民学同中央委員会機関紙)
 
 資料提供いただいた各位に感謝申し上げます。
 こちらも順次(?)、公開の予定です。(いつになるか未定)

 ツールを強化しました。A3スキャナー導入で今回の一連のビラはPDFにできました。
 これまでの、A4での情報公開としてきたものも、順次(気が向いたらですが)B4全面のサイズで、更新していきますので、ご期待ください。(以上)

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 〇またまた、長らくのご無沙汰となりました。
 今回、新たなページを追加しました。
 本年2月、1968年から70年頃、大阪市立大学を舞台にした、学生運動でのビラを大量に保存されているという方から、資料の提供を受けました。
 民学同市大支部の「デモクラット」紙をはじめ、各派等のビラを現在整理中ですが、とりあえず、1968年10月期、1969年1・2月期のビラを100枚ほどをPDF化しました。今後も、残りの作業を進めたいと思います。
 資料提供に感謝申し上げます。

 ★「市大学生運動の軌跡 68年から70年 各派ビラ一覧」

 また、新たに、以下の資料を入手しました。

 「民主主義の旗」No64 1969年12月21日 発行(ガリ版)
 「民主主義の旗」No65 1970年1月20日 発行
 「民主主義の旗」No67 1970年4月15日 発行
 「民主主義の旗」No68 1970年5月15日 発行
    ( いずれも、民学同全国委員会編集局)

 民学同ニュースNo2 1970年4月17日
 民学同ニュースNo3 1970年4月20日
 民学同ニュースNo4 1970年4月26日
     ( いずれも、民学同統一会議編集局 B4ガリ版))

 第12回大会基調報告(1969年9月 延期版)
 第12回全国大会草案(1970年3月 )

こちらも、準備ができれば、公開していきます。(2015-09-07佐野)

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○またまた、長らくのご無沙汰となりました。ごめんなさい。
 さて、1965年5月の民学同第4回全国大会(同盟全国化を方針とした大会)で、全国委員長となったのが、吉田勝次さんでした。彼が、2010年2月に亡くなったことは、アサート407号の「全力投球、全力疾走 追悼 吉田勝次さん」という追悼集の発行記事の中でも取り上げたところです。
 そこで、私も追悼の意味を込めて、吉田さんが、ペンネームで書かれた「民学同15周年と学生諸君への提言」を紹介したいと思います。
 1970・80年代のMGと諸先輩の活動の雰囲気がよく現れていると思います。
 参考にしてください。(2011-10-29佐野)

 民学同十五周年と学生諸君への提言    高橋 春男
                      (新時代誌 第12号 1979年2月より)

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◎先月3日、「故井上淳一お別れ会」が大阪で開催され、私も参加させていただきました。井上さんが代表を務めてこられた「9条改憲阻止の集い」と「活動家集団思想運動」の共催で行われ多くの方が参加されました。その中で興味深い文書も配布されました。それは、井上さんから、星宮煥生さん(全学連第九回大会副委員長、立命館大学経済学部、9条改憲阻止の集いの会員)に宛てられた手紙でした。そこには、大阪社会労働運動史の学生運動部分について執筆された経過が綴られていました。井上さんの「統一戦線思考」「民主主義の思想」の原点にも触れる貴重な手紙でした。この文章をPDFにしましたので、参考にしてください。

井上淳一さんから星宮煥生さんへの手紙(PDFファイル)

◎長い更新中断になりました。少しデータをアップしたいと思います。
 アサート389号で生駒さんも紹介されていますが、1960年安保闘争当時の大阪府学連委員長だった井上淳一さん(大阪市立大学理学部出身)が本年3月に急逝されました。私も近年、「改憲阻止の集い・大阪」に出席させてもらったこともあり、井上さんとは面識がありました。井上さんは、生駒さんも指摘されているとおり、本当にセクト主義とは無縁な方で常に運動の統一を大事にされていたという印象でした。
 さて、大阪社会運動協会が、1991年に出版された「大阪社会労働運動史」(第4巻 高度成長期(上)、第5巻高度成長期(下))には、大阪の学生運動の歴史がまとめられています。第4巻には1955年から1964年、第5巻には、1965年から1974年の大阪の学生運動の歴史がまとめられています。
 この二つの文書を執筆されたのが、井上さんでした。
 非常に丁寧にまとめられているとともに、偏りのない視点が印象的です。当然、民学同もそこここに登場します。
 井上さん追悼の意味をこめて、PDFファイルにしましたので、ご覧になってください。

「大阪社会労働運動史」より(いずれもPDFファイル 248k及び493K)
第4巻 高度成長期(上) 第4節 学生運動 (1955年から1964年)
第5巻 高度成長期(下) 第3節 学生運動 (1965年から1974年)

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★「日本構造改良派の軌跡について」
民学同の分裂という事態について考えていく前に、その遠因というか、共産主義・社会主義運動の影響を無視できない。特に日本共産党第8回大会を前後して、離党・脱党・除名と言う形で、「社会主義革命論」あるいは、「日本帝国主義復活論」を支持した人たちが、日本共産党を離れて「構造改革派」が出現した。60年代を通じてその動向は、民学同に大きな影響を与えた。
 私は、70年代以降の世代であり、実感はないわけだが、文字になっているものを通じて、これらの構造改革派、あるいは共産主義・社会主義運動の流れを考えてみたい。まず、最初は、日本構造改良派の軌跡を解明した勝部元氏の文章を紹介することとする。
★現代革命論としての構造改良論(その3)
日本構造改良派の軌跡
勝部 元   (初出 季刊構造改良 第5号 1971年10月5日)
★現代革命論としての構造改良論(完)
日本構造改良各派の総括とその批判
勝部 元    (初出 季刊構造改良 第6号 1972年2月5日)